〜今月のこの人〜
上野 貴秀さん
◆水を求めて島本町へ
「このおからドーナツ、子どもたちが喜んでくれるから30円から値上げできないねん」と、笑顔で話すのは、「いちまるとうふ」 店主の上野貴秀さん。粋な計らいである。これを目当てに来店される子連れのお客さんも多いという。平成17年(2005)に開業以来、素材と製法にこだわった豆腐を作り続けている上野さんにお話を伺った。
上野さんは父親が長岡京市の食品スーパーの中で豆腐屋を営んでいたことをきっかけに、30歳から親の元で修行をする。サラリーマン時代はパソコン機器を扱っていた。別業界からのキャリアチェンジだったため、最初はついていくのに必死だった。
40歳の時、 食品スーパーの改装休業を機に、独立を決意した。 豆腐作りに欠かせない「源泉(水)」を求めて、3カ月もの間、京都市内、茨木市、箕面市など、さまざまな地域に足を運んだ。阪急電車に揺られながら、奥さんの幸子さんが「島本町って、なんか自然豊かでいいところだったよねぇ」と言った。島本町を調べてみると「離宮の水」があることを知る。さっそく赴き、離宮の水をひと口飲んだ。「お父さん、お水がいいからここにしよ!」。奥さんの鶴の一声で決まった。
開業当初は設備投資できるお金もなく、あらゆる人の力を借りた。製造機械は廃業する豆腐屋から、冷蔵庫は改装する食品スーパーからそれぞれ譲ってもらった。
その後新聞や雑誌に取り上げられたり、知り合いがお客さんを連れてきてくれたりと、さまざまなかたちで宣伝してくれた。「当時から毎週通ってくれるお客さんもいてはる。人との縁がなければここまでやってこれなかったねぇ」と感慨深く述懐する。
◆豆腐作りのこだわり
角のないまろやかなおいしい豆腐を作りたい――。求道者上野さんは、豆腐の要素である「大豆」「にがり」「水」そのすべてにこだわりがある。
大豆は全国から取り寄せている。「夏と冬で大豆の顔が全然違う。温度の微調整には経験とコツがいる」という。宮城県から取り寄せる「青大豆」は、栽培するのが難しいため生産者が少なく、希少価値が高い。その青大豆のざる豆腐を毎年4~8月の週2回、提供できるかぎり一般的な価格で販売している。
にがりは大分県の自然塩「なずなの塩」を使用。そこに離宮の水と同じ源泉をブレンドさせ、まろやかな豆腐を作り出す。市場に出回っている豆腐には「泡消剤」が使われているが、ここではもちろん使わない。泡はざるでひとつひとつ丁寧にすくい取る。
「遠くのお客さんより近くのお客さんを大事にするため、通販はせずに、ここでしか食べられない鮮度の高い豆腐をこれからも作っていきたい」。これもまた上野さんのこだわりだ。
「まずは何もつけずにひと口食べてみて」。甘味が強くまろやかな味わいは、さすがにおいしく一気に胃袋へ消えてしまった。「出来立ての温かい状態の豆腐が一番おいしい。いかに鮮度を落とさずに提供できるかが、勝負どころなんです」という。
◆小さなSDGsを実践
上野さんの朝は早い。午前5時にはお店に入り、豆腐製造を始める。休憩はNHK朝の連続ドラマ小説の15分だけ。また豆腐を作りあっという間にお昼が過ぎ、機械の洗浄をする。一方奥さんは、朝7時から厚揚げ、うす揚げ、湯葉、おからドーナツなどの二次加工品を調理する。お互い何も語らずともひとつひとつの品物が次々とできあがる。夫婦二人三脚、まさに阿吽の呼吸だ。
上野さんにはビジョンがあった。昭和時代の豆腐屋のように、“ざる豆腐”を広めて環境と健康に貢献していきたいという。新商品では、ざる豆腐を購入後にその容器をお店に返却すると100円が戻ってくるリターナブル方式を採用することにした。
だが、言うは易く行うは難し。昔のようにお客さんが持参した容器に水に浸けた豆腐を入れると成分が流れ出て味が落ちる。真空パックだと開けたら使い切らないといけず形も崩れてしまう。そこで考えたのが、豆腐をキッチンペーパーで包み鮮度を保ち、それをリサイクル可能な密閉式の容器に入れる方法だ。容器の形も丸いため形は崩れない。やっとの思いで容器を探しだしたのは奥さんだった。
「あとはこのやり方をもっと広めていきたいですね。広まったら使い捨て容器にかけるコストもなくなるし、ゴミも減らすことができる」。さらに「子どもの中には豆腐が嫌いな子もいる。本当においしい豆腐を知ってもらうために、うちの豆腐を一度食べてほしい。全然違うから。そして、大豆を通じて健康に育ってほしい」と願う。
小さな町で小さなSDGsを実践する二人の姿をみて、応援していきたいと思った。私たちの暮らしと健康に欠かせない「豆腐」。その達人に出逢うことができた。