


〜今月のこの人〜
ゴーラヴ・クマールさん
「こんにちは。よろしくお願いします」
と流暢な日本語であいさつを交わしたのは、阪急水無瀬駅前のカレーとバーのお店「GO STAR(ゴースター)」店主のゴーラヴ・クマールさんである。端正な顔と笑顔が魅力の通称ゴーさん。なぜインドからはるばる日本にやってきたのか、お話を伺った。
ゴーさんは、インドの首都ニューデリーから北へ40キロのハリアナ州ロタク市で生まれた。中流家庭に生まれ、姉と妹がいる三兄弟の長男である。インドと言えば、大方の日本人はカースト制度という身分制度を思い浮かべるだろう。しかし、ゴーさんが生まれ育った地域ではそのような身分制度はなかったという。カースト制度は日本よりもはるかに広大なインドのこと、さすがに地域性があるのだろう。
小さいころから身体能力に優れていたゴーさんは、学校のスポーツ競技でもほぼトップだったという。なかでもバドミントンは日本でいう国体レベルの選手だった。残念なことに16歳の時、指を負傷してしまい、バドミントンとは縁が切れてしまった。その後は軍隊にでも入ろうかと思ったが、一人息子を案ずる母親が反対した。
ドイツに親戚がいたこともあり、発想を変えドイツ留学することにした。父親が靴の問屋経営しており、将来を見据えマネジメントを勉強するためだ。温厚な父親からは「別に私のあとを継がなくてもいい。何か自分のしたいことをしてごらん」と言われていたため、以前から興味のあったホテルマネジメントを学んだ。卒業後は五つ星レベルのホテルで働き、実地を経験した。
「自分のお店を持ちたい」
しばらく働いていると、そんな気持ちが芽生えてきた。さっそく両親に相談すると、大賛成だった。「お父さんが買った土地があるから、そこでレストランを経営してみては」と母親が提案したほどである。
ちょうどそのころ、姉が福島県会津若松市で医学を学んでおり、姉の誘いで日本に遊びにいくことになった。平成17年のころである。「姉はとても頭が良くて、5千人中2人という難関の留学生に選ばれたんです」。日本の印象がとても良かったため、インドではなく日本でお店をもちたいと考えるようになった。姉だけでなく両親も賛成してくれた。
京都観光の際、インド料理のチェーン店に入ったことがあった。その店のオーナーが京都に近い島本町でチェーン店の出店計画があることを知り、そこで働くことに決めた。「こんにちは」「いらっしゃいませ」など、日常の日本語のマスターがたいへんだったという。
しかしそのチェーン店の目論見とは異なり、客足が伸びずあえなく撤退することとなった。ゴーさんとしては、せっかく日本語をマスターできたこともあり、また学んできたマネジメントを活かせるかもしれない、とそのままこの地で働くことに決めた。こうして平成22年、「GO STAR」が誕生した。
「人よりも2倍頑張る」が自身のモットーであり、「我慢して正直にやりなさい。そのうち結果がついてくる」という母親の言葉を胸に、ビラ配りや地域のイベントに積極的に参加した。知人も増え、店内で音楽コンサートやイベントを開催するようになる。するとどうだろう、だんだんとお客さんが入るようになった。店の前を通るたびにニコッとあいさつをするゴーさんの人柄もあるだろう。
ゴーさんは攻め続ける。BBQやカラオケバーの店舗を手がけていくなど、とどまることを知らない。さらに令和元年8月には、心と身体の健康改善のお手伝いをしたいという思いから会社を立ち上げた。
「人間にとって最もたいせつな健康。そのためには、身体を動かしたり、そのエネルギー源である食事が大切です。薬に頼っていてはダメです」
そのため、ヨガ教室、英語塾、旅行、健康食品の販売など幅広く手がける。ヨガは母親から伝授された。語学はドイツ語だけでなく英語も堪能である。さらにはインドのアーユルヴェーダ(薬に頼らない予防医学、生命哲学)の原点を体験するために、インドツアーも企画・実行し、令和5年11月で第7回目を数える。
さすが「人よりも2倍頑張る」男である。休日には、スポーツのみならず、オートバイや自転車で自然の中をツーリングして息抜きをするという。そこでエネルギーを充填したインドの青年は、島本とインドの懸け橋として、今後も走り続ける。「我慢して正直にやってきた」ことが実を結んだのである。



