描き続けるということ
横山隆俊さん(よこやま たかとし) 画家
◆小さい時から絵を描くのが好きだった
横山さんは、幼少期から勉強が極端に苦手だった一方、絵を描くことや、サッカーなどのスポーツは好きだった。母親は小学校教員、父親は音楽教師、祖父も教師という“教師家庭”で育つが、勉強は伸びず苦手意識が強かった。集団・所属が苦手で、中学のクラブではサッカー、陸上、バスケ、テニスとクラブを転々とした。「1対1の関係性は大丈夫なんですが、複数人になると『互いに意見を譲り合って平均が生まれる』感じがして居心地が悪いんです」と語る。
中学2年で家庭教師に勉強をみてもらうが成績が上がらず、京都市立芸大の学生だった家庭教師から「絵の道に進んだ方がよい」と助言される。そこから勉強ではなくデッサンの指導を受けるようになる。成績が悪く普通科高校は難しいが、美術高校ならデッサン入試でいけると言われ、宇治市にある美術高校(当時の京都工芸高校)に進学する。同時に神戸元町の「初田美術研究所」という芸大受験予備校に1年生の頃から通い、基礎デッサンを徹底的に学んだ。
授業後に宇治から神戸元町の初田美術研究所へ通い、鉛筆デッサンを中心に芸大受験のための訓練を受ける。通学はかなりハードで、予備校到着が17〜18時頃、2〜3時間制作し、帰宅は終電になる日々だったが、高校の授業よりも予備校での制作の方が専門性が高く楽しかったと振り返る。デザイン志望、日本画志望、洋画志望など多様な学生がいるが、全員が共通して鉛筆デッサン力を鍛えた。
高校卒業後は、複数の美大(京都造形、精華など)を受験し、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)美術工芸学科 洋画コース(油絵)に進学。学生時代は油絵で個展・グループ展・展覧会を行うなど制作活動は続けていたが、卒業後の進路については明確な目標がなく、一般的な就職活動や会社勤めへの意欲も薄かった。
10代〜20代前半は海外文化への興味が強く、油絵という西洋絵画表現を選択していたが、芸大卒業が近づくにつれ、絵の問題に限らず「日本そのもの」への興味が強くなり、日本画・水墨画などに惹かれ始めた。
◆弟子入りへ
大学卒業後は、「こうしたい」というはっきりした夢や目標がなく、一般的な就職もしたくなかったため、服が好きだったことからアパレル関係のアルバイトをしていた。その時分、日本画・水墨画の画家・篠原貴之先生の作品集を見ているなかで、先生の作品に強く惹かれていた。ブログで「自家塾をしている」「アシスタント募集」などの記事を見つけ、手紙と履歴書・ポートフォリオを送付した。面識はなかったが、すぐに「一度来たら」と呼ばれる。面談で「仕事を探しているなら他に行った方がいい。絵を描きたいなら、うちでずっと絵を描いていれば上手くなる」と言われ、特別な契約もなく24歳で弟子入りすることになる。
アトリエ兼住居は京都市右京区の山間部・嵯峨越畑にあり、自宅を自ら建て、そこで創作・指導を行なっていた。横山さんはそこで日本画・水墨画を学び、結果的に16年間に及ぶ「師匠と弟子」の関係となった。「ずっと通わせていただこう」と思っていたが、コロナ禍と自身の結婚など環境の変化が重なり、状況が急速に変わったため、独立に踏み切ることになった。現在も篠原夫妻との親交は続いており、弟子という関係性から独立した画家としての関係に移行している。
◆風景と一体となって描く
横山さんは学生時代にパニック障害・広場恐怖を発症しており、最初は電車に乗れなくなり、外食や美容院にも行けず生活範囲が極端に狭くなった。嵯峨越畑のアトリエには当初、母親名義の車で通っていたが、母の退職後に車を手放したため、通う手段がなくなった。そこで師匠が車で迎えに来てくれるなどの支援を受けて何とか通い続けた。絵を描くことが心の拠り所となり、絵を描いている間だけは症状を忘れていられたという。絵を描き続けることが精神的な救いとなり、長い弟子生活を続けられた要因でもある。30代後半から症状が徐々に改善し、現在に至っている。
横山さんは自身の生きづらさ・生きにくさや人と同じように物事をこなせないコンプレックスを背景に、絵が「居場所」「支え」になってきたと話す。「人を感動させたい・突出した才能を示したいというより、ただ風景を写し取るような地味でインパクトが弱い絵でも、自分のような人が『こんな絵でも描き続けていいんだ』と思ってほしいんです」。パニック障害なども含めた自身の背景と絵の関連性を知ってもらい、同じ少数派の味方・共感の源になりたいと述べる。
これまでは「書きたい風景と出会うまで描かない」スタイルで、街では散歩して終わる日も多かったと振り返る。今後仕事にしていく上ではそれでは作品ができないため、ある程度は座ってスケッチブックを開けば、どんな風景でも描き出したら本質的には同じだと考えるようになってきたと話す。風景と自分との共鳴や一体感を重視し、自分一人で描いたというより「現象の一つ」として絵が生まれる感覚を大切にしている。
令和7年3月に独立し、水墨画の初めての展覧会(個展)を開催した。しかし、作品販売や個展のみでは赤字になりやすく、絵だけを売るのでは限界があると感じた。自身の経験を言葉や体験として人に伝える場が必要と考え、デッサン教室やワークショップを視野に入れている。
昨今「生きづらさ」を感じ、心身に不調をきたす人が増えているという。風景と一体になって生まれるその繊細な筆致は、現代を生きる私たちの心を、静かに解きほぐしてくれることだろう。そう感じぜずにはいられなかった。

