ステンドグラスに魅せられて
芹澤広子さん(せりざわ ひろこ) ステンドグラス作家、アトリエセリザワ主宰
◆絵を描くことが大好き
歯医者さん横の通路を通り抜けて、2階にあがると意外なほど静かで広く明るい空間がひろがっている。色とりどりの板ガラスが棚に並び、ランプをはじめ、できあがった作品たちが光を受ける。「ようこそ」と笑顔で出迎えてくれたのは、ここでステンドグラス教室を開く芹澤広子さん、ステンドグラス作家である。
「出身は神戸の北区です。自然は多いところですね。7月末に実家に帰ったら夜エアコン付けなくて寝られるんです」
神戸出身の芹澤さんが島本町に住むことになったきっかけは、島本町出身の夫との出会いだった。学生時代にデザイン事務所でのバイトで知り合い結婚。その頃、どちらも大阪市内で働いており、阪急電車とJRの2路線使える島本町に住むことに決めた。
芹澤さんは子どものころから絵を描くことが大好きで、絵さえ描いていられれば他には何もいらないというほど。「絵を描くか、漫画を読んでいるか。そんな子ども時代でした」。
「漫画家やファッションデザイナーになりたいな」と、将来を漠然と考えていく中で、高校は総合学科という特殊なコースへ進むことになる。大学のように授業を選択する単位制の学校で、ひたすらデッサンをする素描や、商業デザインなどの科目に触れ、卒業後は芸術大学へ進学した。そこでグラフィックデザインやイラスト制作を学ぶ。大学で学んだことを生かすべく就職活動に取り組むも、時は就職氷河期の真っ只中である。澤さんも例外でなく就職活動には苦戦を強いられた。たくさん受けたデザイン事務所は全滅したが、デザインに関わる仕事に携わりたかったため、カバンメーカーに入職する。とはいえ、専業デザイナーというわけにはいかず、デザイン兼在庫管理として、商品の検品や出荷管理をしながら量販店で販売するカバンのデザインなどをしていた。「購入して持ってる人には会ったことがないんですけど、お店に並んでるのはうれしかったですね」
◆ステンドグラスに没頭
しかし、業務の比率としてはデザインよりも在庫管理などの事務方のほうが大きなウエイトを占めていた。デザイン業務ができない不満が募り、数年務めたのちにカバンメーカーを退職する。その後、ずっと興味のあったステンドグラス教室に通うことにした。「1カ月 1000円出したら、朝10時から夕方の5時まで来放題」というスタイルの教室で、お弁当をもって朝から夕方まで週に3回は通い、ステンドグラスに没頭する生活を続けた。
1年ほどステンドグラス漬けの生活を続け、貯金も尽きてきた頃に再び就職する。この時分に結婚し長女出産後も仕事を続けたが、時短勤務が無くなる3歳を過ぎると、仕事と子育ての両立の悩みが立ちはだかり、退職を決断した。働きたい、家族との時間も大切にしたい、好きなこともしたい……。自分に何ができるかを突き詰めて考えた。悩む中で思い浮かんだのは、ステンドグラスに没頭していた時間だった。「ステンドグラス教室を開きたい」。そう思った。
京阪神のステンドグラス教室にあちこち連絡し、開業を前提として教えてもらえないか問い合わせた。断られることが続く中で、話を聞きましょうと言ってもらえ、受け入れてくれたのが京都の先生だった。そこで教室運営のノウハウを教わる。先生から、「どんどん作品を売りなさい」というアドバイスをもらった。そこで島本町商工会が主催している手づくり市へ出店し、アクセサリーや小物などを販売した。イベントで自分の作品を売りつつ、ステンドグラス教室で勉強する生活を3年ほど続けた。
◆「アトリエセリザワ」を開業
さまざまな苦労があったが、ついに2019年7月、「アトリエセリザワ」を開業する。その翌年にはコロナ禍で外出自粛要請が出るなど、厳しい状況でのスタートではあったが、現在では40名ほどの生徒さんがステンドグラスを楽しんでいる。アトリエセリザワの教室の特徴は様々な技法ができること。ステンドグラスの定番のティファニーランプなどの製作はもちろん、フュージング(板ガラスを電気釜で溶着する技法)、ガラスの絵付け、教室にはサンドブラスト(砂をガラスに吹き付けて模様を描く技法)の機械もある。また、教室の主宰だけでなく、ステンドグラス作家としてもここ数年百貨店などで展示会を開いている。
「もっと若い人にもステンドグラスを楽しんでほしいなと思っています」。ステンドグラス業界も高齢化が進んでいるそうで、大好きなガラスの魅力をもっと多くの方に知ってもらいたいと考えている。「気軽に来やすい教室づくりは続けていきたいと思っています。自分で教室を開きたいという方もウェルカムです。自分が教えていただいたことはお返ししていきたいので」。
恩返しのような言葉を聞いたとき、芹澤さん自身がガラスのように輝いてみえた。


