島本流のスペインバルでコミュニティを

島本流のスペインバルでコミュニティを

〜今月のこの人〜

杉本拓さん(すぎもと たく)  bar tacon(バル・タコン)店主 

◆スペインに魅せられて

 「夜中4時に寝てお昼12時に起きます。他の人と比べて時間がずれているだけで、きわめて規則正しい生活です」。ニコニコ顔の声の大きい男は、そう笑いながら話した。声の主の名は、スペインバル「bar tacon(バル・タコン)店主の杉本拓さん、今回の主人公である。

 母親が島本高校の教諭だったこともあり、自然が多く子育てにいい環境ということで両親は島本町に引っ越した。幼少期から島本で育った杉本さんは、小中学時代、典型的な優等生タイプで、中学の修学旅行時には集合場所である大山崎の離宮八幡で、なぜか行きも帰りもあいさつをさせられた。中学時代は野球部に所属する。その時にした丸刈りが現在のヘアスタイルにつながっている。練習時の声出しの際、自分の声が以上に大きいことに気づいた。音楽の歌のテストや文化祭での劇のときに、ひと際声が大きく目立った存在だった。

 野球部ではあったが、サッカー好きだった父親の影響もあり、テレビで海外のサッカーを見はじめ興味がわいた。なかでもスペインの1部リーグに所属するFCバルセロナのファンであった。高校生の時にはヘアカラーをスペインの国旗の色にし、周囲を驚かせたこともある。深夜の海外サッカーを見る習慣やサッカーチームのユニフォーム収集といった趣味はこの時に始まった。

 大学では、スペイン語を学ぶ。後になって分かったことだが、祖父や従妹もスペイン語を学んでいた。スペインとは不思議と縁があることに驚いたという。同じ学科の友人とスペイン料理に食べにいき、そのおいしさに魅了させられた。4回生のときには1年間、スペインへ語学留学の経験をもつ。現在でもスペイン語を流ちょうに話すことができる。

◆スペイン料理を学ぶ

 就職活動もせずに卒業した。1年半ほど何もしなかった。丸一日家にいたので、せめてと思って家事だけは手伝っていた。「ずっと家にいても親は何も言わなかったんです。だんだんと親のありがたみが分かってきて『これはいかん!』とバイトをしはじめたんです」。

 そこで大阪の天満のスペイン料理屋で3年間ほどアルバイトをする。そのときにスペイン料理を覚えた。中学時代から自分の弁当を作るなど料理すること自体は好きだった。また叔父が高槻で飲食店をやっていたこともあり、バイト経験もあった。このときの叔父の楽しそうな生活スタイルが杉本さんの原点となる。

 京都のスペイン料理店に食べにいった折、その店のバルセロナ出身のオーナーと懇意になった。ある日オーナーから「一緒に働かないか?」と誘われ、今度は京都で働き始めることになる。その店は杉本さんの中では理想的なバルであった。バルとは、バーと食堂が一体化したもので、コーヒーやアルコール飲料、軽食を提供する。朝から晩まで利用され、スペイン人にとっては日常的な場所であり、地域の交流の場でもある。 

 「これが天職かも。ゆくゆくは自分の店を持ちたい。島本町にはスペイン料理のバルはなかった。店を出しさえすれば食っていけるではないか」。働きながらそんなことを考えはじめていた。しばらくして新型コロナウイルスの流行により、店が規模を縮小したため辞めることになった。コロナ禍が収束し、世の中が平穏に戻るとイタリア料理店でアルバイトを始めた。人気店だったため結構忙しく、多い月には月40万近く稼いだこともある。コロナ第二波による休業支援金もあり貯金ができた。「よし、店を持とう」。店を探しはじめた。令和3年のことである。明るい雰囲気の店を作りたかった。

◆島本流スペインバルでコミュニティを

 そんな折、条件がぴったり合う物件が見つかった。建設会社に勤める同級生に内装工事を頼み、思い通りの店づくりをした。ドアを開けると左側にキッチンとカウンター、真ん中は立ち飲みできるスペース、そして右側はテーブルとイス。かつてスペインで見た理想的なバルだ。令和4年11月、bar tacon(バル・タコン)はオープンした。

 もちろん不安はあった。料理はできてもマネジメントはしたことがない。そもそも立地も道路に面しているとはいえ、他の飲食店が見当たらない住宅街である。「こんなところにバルができて近所迷惑になるかもしれない。それだけが心配でしたね」と、ニコニコ顔で明るく話す杉本さんも、この時だけは真剣な表情になっていたのが印象的だった。しかしいざオープンしてみると、それは取り越しだった。スペインバルの物珍しさや、仕事帰りのお客さんで店はにぎやかだった。ご近所さんも逆に来店してくれた。定休日の火曜日には、かつてバイトをしていた大学生が子どもたちに無償で勉強を教えている。

 お店を切り盛りするにあたり、「自分のやりたいようにする。お客さんに合わせすぎない」ことを心がけている。もちろんサービス精神をおろそかにするということではない。杉本さん流の「がんばりすぎず、余裕をもってやること」が、結局来店される方に心地いい時間を提供するのではないか。

 開店前、ご近所さんや常連客の子どもたちが入ってくる。あるときは「おじさん、ほうき貸して」と掃除をしだしたり、またあるときはカードゲームをして楽しんでいた。杉本さんもまたその輪の中に入り一緒に興じる。杉本さんが作り上げた島本流のスペインバル「バル・タコン」は、いつしかコミュニティの場になっていたのである。

取材・文・撮影 – SMALL編集部