


〜今月のこの人〜
菱田雅己さん(ひしだ まさき) Restaurant MyS(マイス)店主

■みんなが集まれるように
水無瀬川沿いに赤いレンガの門を見つけた。その静かな場所に瀟洒なイタリアンレストランが佇んでいた。中に入ると、居酒屋とは違い、ゆったりとしたスペースに、白を基調としたインテリアとなっている。島本町ではあまり見かけないお店である。
「かつての常連のかたが今のお店に来られると『島本町に初めて来ました』と言われ、町内のお客さんですと『島本町にこんなレストランがあるなんて』とだいたい言われますね」と笑いながら話すのは、「Restaurant MyS(マイス)」の店主を務める菱田雅己さんである。
菱田さんは、茨木市で育ち高槻市の高校に通っていた。卒業後に同級生たちと離れるのが悲しく、将来みんなが集まれるように、おしゃれなイタリアンを提供する店を作ろうと料理の道に進んだ。その後、調理師専門学校へ通い、卒業後に京都のイタリア料理店に就職をした。そこで働きながら、本場イタリアの料理はどのようなものなのかと興味が湧き、20歳の時から何度かイタリアへ行き、独学で勉強していた。その後、本格的に学ぶためにイタリアへ渡った。
■イタリアでの日々
イタリアでは、正式に働くためには労働許可証というものが必要となる。そこで、菱田さんはイタリアへ渡る前に、ミシュランの一つ星から三つ星までのあらゆるイタリア料理店にイタリア語で書いた手紙を出した。その努力が実り4通の返事が返ってきた。
そのうちの3通は、まず料理学校へ通うように書いてあった。残りの1通は、来てもよいと返事があった。イタリアの北西部のリグーリア海北岸にある「バイアヴェニアミン」というレストランである。現在は閉店しているが、フレンチの巨匠アラン・ヂュカスが食べに訪れたことがあった店であった。ここで2年ほど働き、最初の目標としていたイタリアでの普通の生活を達成した。
その後、高級レストランで伝統料理をきちんと学び、イタリア料理の歴史に触れてみたいという思いから、「リストランテ・グラルティエロ・マルケージ」に雇ってくれないかと電話をした。この店は、イタリア料理の父と言われているグアルティエロ・マルケージ氏が経営している。最初は断られたが、ここでも菱田さんの熱意が伝わり、マルケージ氏から直接電話がかかってきた。「マルケージ氏からの電話って、ふつうはあり得ないですよ。一生忘れられない思い出です」。この店で1年半勤めたあと、伝統料理とは異なる最新の料理を学ぼうと「エルコック」でも働いた。その行動力に驚くばかりである。

■自然豊かな島本へ
「ハインツ・ベック東京」の出店とともに、菱田さんは帰国した。イタリアにいたときの同僚とともに、日本の食材を使用したオリジナルメニューを編み出し、ついにミシュラン一つ星を獲得した。「あの時は、2人で頑張ったなあと思います」。
その後、京都のホテルのイタリア料理店のシェフを務め、数年後大阪に戻った。「以前から島本町には自然豊かな環境がたくさん残っていていいなあとは思っていたんです。一軒家のように、のびのびとした空間があって、できる限り良い食材を使って料理の価格も上げずに、と考えたら、ここはうってつけでした」。こうして令和3年7月、「Restaurant MyS(マイス)」をオープンした。
「イタリア料理をベースにしながら、自分にしかできない料理を作りたいですね。さらにローカルガストロノミーっていうんですけど、店のある島本町の食材を使って、その風土、歴史、文化を料理に表現していきたいですね」
生産者との緻密なコミュニケーションをとることで、その町の食文化や生産物のレベルを上げることにもつながる。それは生産者だけではなく料理人の仕事でもある、とかつて教わった。「行く行くは農家の方や障がい者施設で作られる農産物も使いたいですね」と抱負を語る。

■ニーズをくみとる
菱田さんは、島本町内外問わず、お客さんのニーズに合わせることをこだわっており、それが結果的に目の前のお客さんを大切にすることにつながるという。年に1回の特別な日にここを選んでくれるお客さんがいたり、「子どもがここに来たい」と言ってくれるお客さんがいることに喜びを感じている。
正月やお盆も店を開けた。なぜならお客さんとのやりとりのなかで、そのニーズを発見したからである。都会とは違い、島本町といったベッドタウンは、正月やお盆に子どもたちが帰省し大家族となる。たまには近くの店で大家族でゆっくりとご飯を楽しみたい。そういったかたがお店を予約するという。これまで都会やホテルのレストランで働いてきた菱田さんにとって、これは目からうろこだった。「島本で店を開いてよかったなーと思います」。
「かつてミシュラン一つ星を獲得したからといっておごるのではなく、目の前のお客様を喜ばせたいんです」。
さまざまな場所で多くのことを学んだ菱田さんだからこそ、謙虚な姿勢でニーズを敏感にくみとることができるのだろう。