


〜今月のこの人〜
久保田ともみさん(クボタ薬局)

◆よくしゃべる薬局
JR島本駅から西国街道を南方面へ歩いていると、青色のオシャレな建物が目に入る。目を凝らして見ると「クボタ薬局」と銘打っていた。ふつうの薬局のような感じはしない。さぞかし思いのある薬局に違いないと俄然興味がわき、店主である薬剤師の久保田ともみさんに取材することとなった。
「こんなお薬あるかな~」
「あららお久しぶり! それならここにありますよ。どうしはったんですか?」
とある患者さんのやりとりである。ふつうの薬店で見かけるようなやりとりではなく、まるでご近所さん同士の会話のようである。「お薬だけでなく、スマホの使い方が分からないとか、いろんな相談があるんですよ。『よくしゃべる薬局』と言われているようです」と笑いながら答えた。
久保田さんは広島県で生まれ育った。もともと体が弱く病院通いが絶えない幼少期を過ごした。吃音もあり人前でしゃべることができず、現在からは想像もできないほどおとなしい性格であったという。
青年期に体が少しずつ元気になるとともに友人も増え、いつの間にか吃音もなくなりとても明るい性格になった。楽しい高校生活を送った友人とは、現在でも連絡をとりあい、時には支えてくれているという。久保田さんにとって大事な宝物である。

◆医療関係の道に進む
高校生活をエンジョイしていたこともあって、大学受験はどうなることかと思った。これまで病院と切っても切れない生活であったため、医療関係の道に進むことを決意した。それからは猛勉強の日々が続き、なんとか無事に兵庫県の大学に入学することできた。手先が器用であること、細かい作業が好きであることから薬剤師の道を選んだ。
大学を卒業後、国家試験を受け合格し薬剤師となり病院勤務した後、一念発起して大学院受験をし大学院修士に進んだ。卒業後、病院に戻り1年間働いたのちにオーストラリアに行くことを決めた。
「大学院に行ったことで世界も広がり、何でもやってみたいという気持ちが大きくなったんです」
オーストラリアから帰国後、今度はアメリカへ薬局研修に赴く。通常は病院等が推薦するところ、そこは自分自身であらゆるアメリカの薬局に「私は日本で薬剤師をしています。お宅で働かせてください」とメールを送った。ダメ元と思っていたが、ある薬局からOKの返事をもらい、めでたく働くこととなる。久保田さんのアグレッシブな性格の勝利である。
そこでは、日本との医療制度の違いなど経験した。その後日本に戻り、複数の病院で勤務した。薬剤師の業務だけでなく、留学経験もあるため、外国人患者への通訳を担当したこともある。

◆年齢を重ねた方に寄り添って
「終末期医療をやりたい。年齢を重ねていく方々に寄り添いたい」。病院での勤務を続けていくうちに、こんな思いが募ってきた。その思いを実現させるために、薬局を開業しよう、と決意し、日々邁進した。
平成26年5月、念願の「クボタ薬局」を開業した。「他の人とは違ったことをする」という久保田さんの性分がクボタ薬局に反映されている。青色の壁はまるでカフェやレストランのようだ。夜のイルミネーションもきれいである。インテリアも木製の戸棚があり、薬の他に薬局オリジナルの石けん、外国のお菓子や雑貨などを扱っている。取材中「このミッフィーのバッグかわいいね」と言っている患者さんもいた。
「人って、生まれた時にはほとんどの人が祝福されて、愛されて誕生するのに、人生を歩み、経験を積み、年齢を重ね最後目を閉じるとき(死)には寂しい環境であることが多いように感じていたんです。年齢を重ねた方々はそれだけでも素晴らしい。本来ならば祝福されるべきであると思っています。患者さんやご高齢の方々、気持ちがしんどい方が、少しでも笑顔になっていただける薬局にしたかったんです。いわゆる『相談薬局』ではなく、『とにかくクボタ薬局に行ってみよう』と足を運んでもらえるような薬局を目指しています」
大学生活までは両親に支援してもらった。しかしその後の大学院進学、海外留学、薬局開業は久保田さんの自力でやってきた。どこかの田舎の金持ちの親にバックアップされているのだろうと言われたこともある。「親を頼ることなく自分でここまでやってきたんです。自分をほめたいと思っています」と語る。
性格が明るいだけでなく、強靭な精神力の持ち主で努力家でもある久保田さん。これからも「よくしゃべる薬剤師」として、クボタ薬局は人々の憩いの場になるのではないか、そんな気がしてならない。

