名匠に認められた表具師

名匠に認められた表具師

〜今月のこの人〜

辻 雅文さん

◆見て覚えるという職人の世界へ

障子や襖の張替えから洋室のクロス貼り、掛け軸や文化財の修復までさまざまな仕事を請け負う島本町桜井にある辻表具店。そこには仲間からの信頼もあつい実直な人柄と、数々の現場を乗り越えて培った技術を持つ「表具師」辻雅文さんは、今日もひとり黙々と職人として作業と向き合っている。

 辻表具店が島本町に誕生したのは50年ほど前。辻さんが小学校低学年の時、父親が仕事を辞め、職人養成所に通いこの仕事を始めた。大学生になると、父と同じ表具師の道に進むことを決意する。父親は一から十まで丁寧に教えてくれるタイプではなかった。4回生のときに大学に行きながら表具の専門学校に通いはじめ、技術を習得した。

 実際に仕事をこなさないと技術は身につかない。父親は襖の張替え専門だったので、それ以外の技術を習得しようと、営業さんが持ってくる比較的簡単な仕事を引き受けていった。場数を踏んでいくうちに難しい修理などもできるようになった。

 「職人は見て覚えろという世界。口で言われたことはすぐ忘れる。自分で経験してなんぼなんです」

 ほかの職人さんのやり方を真似して自分に取り入れる。仕事が来たら「やります」と言って挑戦した。もちろん失敗もある。失敗しながら仕事のやり方を覚えていく。何人かの職人が集まって仕事をする現場では、常に手を動かしながら他の人の作業を見て情報を頭に蓄積していく。それらのデータを積み重ねてノートに書き留めて今後の仕事につなげているという。工房にはそれら昔の自分が書き留めたノートが大切に保管されていて、今の仕事を支えている。今の若い職人を現場に連れて行った時、自分のように真似して盗んでくれと思うが、なかなかそういう子はいない。「もっと貪欲になってほしい」と願う。

◆先輩テツとの出会い

辻さんがさまざまな技術を習得していくもう一つのきっかけに、「テツ」というあだ名の恩師である先輩表具師がいる。作業や段取りを決めるのが早く、人を使うのも上手だった。血気盛んで口うるさく敵も多いが、言っていることはいつも正論だった。あだ名は当時流行っていた「じゃりン子チエ」というアニメから辻さんがつけた。「じゃりン子チエ」のテツと似ていたのだ。師とはいっても弟子はとらない主義で、手取り足取り教えてくれるわけではなく、モタモタしているといつも怒られた。作業する背中を見ながらいろいろと教わった。内装のクロス工事の現場に連れていってくれたこともある。

 完全に代替わりしたのは十数年前。父親が全盛期でやっていた頃は、手が回らないほど仕事はたくさんあった。しかし時代が移り変わるにつれ襖や障子の需要は減っていく。洋間の内装などをこなしても先細りになることは目に見えていて、今後跡継ぎや職人の数が減っていく業界であることはわかっていた。今までのやり方だといずれ手が止まるときがくると思った。

 ひとりで仕事していると苦労するのが人脈作りだ。大きな仕事が来た時に誰かが一緒に手伝ってくれないとその仕事は受けられない。始めたころの知り合いは表具学校の関係者ぐらいだったが、いろんな仕事を紹介してもらってやっているうちにどんどんと増えていった。これからの時代はネットワークもやはり大事だという。特に異業種の方とのつながりを持っているといろんな仕事が舞い込んでくる。

◆名匠に認められる

辻さんが三十代前半の時、お寺の壁に和紙を貼る仕事を受けた。それが後に大きな仕事へとつながる転機となる。法隆寺の昭和の大改修を手掛けた西岡常一という有名な宮大工がいる。恩師であるテツの夢は、生きている間に一度でいいから西岡棟梁と同じ現場で仕事をすることだった。夏の暑い中飲まず食わずで、一人本殿に残って下張りの作業をしていると、暗闇の中から住職が現れて「ここの(大工)仕事はきれいか?」と辻さんに聞いてきた。「どれも丁寧な仕事やと思います」と答えたのだが、後にそれが西岡棟梁の唯一の弟子だった小川三夫さんの率いる宮大工集団「鵤(いかるが)工舎」の仕事だと知った。

 小川さんは、弟子をとらないことで有名だった西岡棟梁の唯一の内弟子である。和紙を壁に張れる職人がいなかったため、別の仕事にも呼ばれ、直々に現場に訪れた小川さんに気に入られ直接仕事を受けるようになった。見よう見真似で必死に食らいついていた青年は、いつしか掛け軸や屏風、額の仕立て直し、自治体の文化財や社寺関係の仕事、そして小川さんからの仕事もこなすようになっていた。

 先輩テツはそんな彼をどう思っただろうか。高齢になりひとり開いていた表具店を数年前に廃業した。彼にみても盗ませてもらったのはほんの一部で、今から思うともっと盗んでおきたかったと話す辻さん。どこか寂しげではあったが、それでも自分が代わりにテツの夢を叶えたという自信に満ち溢れていた。

取材・文・撮影 – SMALL編集部