体に優しい農業を目ざして

体に優しい農業を目ざして

〜今月のこの人〜

濵田 忠一朗さん

◆40歳で転機を迎える

有機無農薬の水稲栽培を営んでいる濵田忠一朗さんは高浜で生まれ育った。実家は兼業農家で小さい時から祖父のお手伝いをしていたという。父の代になるとそういうことはなくなり、自然と農業から離れていった。芸術関係の大学では、彫刻コースを専攻する。卒業後は、芸術関係の仕事ではなく、引っ越しや印刷関係のバイトを転々としたが、最終的にはクロス貼りの仕事に携わった。

 転機が訪れたのは、平成26年、40歳の時である。父が突然農業を辞めると言い出したのだ。濵田さんは当時クロス貼りの職業病であろうか膝の痛みに苦しんでいた。無理な態勢で作業をすると足がパンパンに膨れあがったという。父の農業引退宣言はちょうどそんな時であった。祖父と田んぼで手伝っていた時が懐かしい。身体も悲鳴をあげている。「じゃ、俺が継ごう」。そう決めた。

◆体に優しい有機農業を

「膝の痛みだけでなく、元々ハウスダストなどのアレルギーがあり、手が腫れたりしてたんです。農薬などは気持ち的に楽しくない。農薬や除草剤を使わなくてもできるのではないか。どうせするなら体に優しい有機農業をしてみたいと思ったんです」

 有機農業とは、農業の自然循環機能を積極的に活用し、肥料・農薬に化学製品の使用を避けて有機肥料を投入ものである。土壌中の生態系を活用して地力を培い、安全な食糧生産をめざす。環境への負荷もできる限り提言した方法ともいえ、国も積極的に推進している。

 そうはいうものの、濵田さんにとっての農業は祖父に簡単な手ほどきを受けただけで、いわば初心者である。何も分からずに米作りを始めたため、最初は失敗ばかりしていた。「結局周りの人から教えてもらったんです、失敗しているのも批判せずに。感謝の気持ちでいっぱいです」と当時を振り返る。

 濵田さんと田んぼを歩いていると、通りがかった人はほとんど声をかけてくる。高齢化などにより農業人口が激減している。島本町も例外ではない。後継者がいなくなる度に、「田んぼの世話をしてほしい」と若い濵田さんに声がかかる。

◆レンゲ摘みの本当の意味

第4地区福祉委員会より、児童にレンゲ摘みを経験させてあげたい、と相談を持ちかけられ一役買うことにした。濵田さんが関係している田んぼのあちこちに、稲刈り終了後レンゲの種を撒いたのである。

 春になるときれいな花が畑一面に広がる。児童らは、思い思いにレンゲの花を摘む。春の風物詩の一コマだ。

 「子どもたちが外に出て田んぼでレンゲを摘むことは純粋にいいことだと思います。ただその本当の意味も教えたいですね」

 実はレンゲには、土を肥やす効果がある。レンゲ全体が、窒素をたくさん蓄えた肥料みたいなものなのである。農家は田植えの前、このレンゲソウを機械で土の中に混ぜ込む。やがて腐葉土のように分解されて、土の中の肥料分が多くなるのである。化学肥料の導入によりレンゲ畑が姿を消しつつあるが、最近は見直されてきている。

◆環境にも優しい農業を

「化学肥料や農薬、除草剤などは、もともと自然界にはないもの、余分なものです。そういったものを多くの人が使うと自然や環境のバランスが崩れる。除草剤を使わなくても、耕うん(田畑を耕す作業の一つ。おもに整地や中耕除草を目的)の時期、代掻き(田んぼに水を入れ、土を砕いて均平にしていく作業。稲をしっかりと育てるため、田植えの前に行う重要な準備)の回数などを工夫すれば、草が生えないだろうことは分かってきました」

 濵田さんは農業を始めたとき、10年でものになるだろう思っていた。でも実際はまだまだ意味が分からず理解できていないところもある。

 「今後10年は、もっとうまく作れるようにしたいですね。みんなに受けいれられるような、もっと簡単にできる環境にやさしい農業をめざして、いろいろ試行錯誤していきたいです」

柔和な顔もこの時だけは引き締まっていた。

取材・文・撮影 – SMALL編集部