〜対談〜
水無瀬努氏(水無瀬神宮禰宜)、矢吹聖子氏(水無瀬殿(水無瀬離宮)研究会事務局)
◆魅力発信と地域コミュニティの中心として
水無瀬 矢吹さんは「水無瀬殿(水無瀬離宮)研究会」事務局として積極的に活動されていますが、後鳥羽院に興味があったのは、昔からいわゆる歴女(歴史好きの女性)だったからですか?
矢吹 よく勘違いされるのですが、実は元はリケジョ(理系女子)なんです。大学の専攻も仕事もバイオ関係でした。歴史は苦手でしたね。
水無瀬 そうだったんですね、それは驚きです。ということは、何かのきっかけがあって歴史を学ぶようになったのですか?
矢吹 私は絵が好きなのですが、10年ほど前に天王山を舞台にした説話「京の蛙・大坂の蛙」の絵巻を作ったのが契機になりました。これが縁になって「大山崎おもてなしウィーク」のイベントマップや、フリーペーパー「しまもとノート」などにイラストを依頼され、地域史を調べることが増えました。その頃はまだ「大山崎は歴史深い町だけど、島本はそうでもないよね」と思っていました。隣り合う両町のカラーの違いは面白いですね。
認識が覆されたのが平成28年に京都であった水無瀬離宮に関する講演会です。大盛況の会場では私の全く知らない島本の歴史風景が語られていました。もっと知りたい、知らせたい!という衝動で水無瀬離宮の勉強会を立ち上げました。
水無瀬 なるほど、そこで水無瀬神宮にたどりついたわけですね。水無瀬離宮のことを勉強していただいて、いろいろ発信されていることは、禰宜としてうれしく思いますしありがたいことですね。僕自身もお務めのかたわら、いろいろなイベントをしています。
というのも、僕は神社というものは地域のコミュニティの中心と思っているんですよ。祭りの時に、あの地域の誰々の息子が大きくなって、「いつの間にか大人になったね~」とか、そういう会話が成り立つような空間、そんな神社にしていきたいんです。今では神社で集まることも段々少なくなっていると思うんです。
矢吹 近年手がけられている夜のライトアップや風鈴、蹴鞠などの賑わいは良いですね。
水無瀬 そうなんです。たしかに現代ではつながりがうっとうしい面もあるんでしょうが、やっぱり温かい面っていうのもあるんじゃないかなと思って。そういうコミュニティの中心としての神社にしていきたいと思っているんですよ。
矢吹 そういう意味では水無瀬神宮は最適かもしれませんね。ちょうど昨年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放映され、後鳥羽院も登場されたことですし。
編集部 昨年お二人でトークイベント『あなたの知らない後鳥羽上皇』を水無瀬神宮で開催されましたね。
矢吹 はい、水無瀬さんとやらせていただいたんですが、これが例えば集会所だと、やっぱり何かお勉強っていう感じになるんです。水無瀬神宮でやることに意味がある。本物の歴史があり文化財のある「ここ」で、それを感じながら“聞く・体験する”ということが、より深い理解や感動につながると思います。この水無瀬神宮が歴史文化の魅力発信と地域コミュニティの中心になっていくと良いですね。
水無瀬 そのとおりですね。このイベントでうれしかったのが、町外からのお客さんもたくさんおられたことです。隠岐神社の禰宜さんも来られていました。おもしろいことに、これが縁となって、昨年末矢吹さんと二人で隠岐の海士町に行って交流を深めてきました。
興味深かったのが後鳥羽院に対するイメージの違いですね。水無瀬神宮ではご祭神なので「敬う存在」なのですが、隠岐では「身近な存在」として、島民の方が愛着をもってるんです。
矢吹 後鳥羽院ゆかりの町どうしとして、隠岐(海士町)とも地域間交流を図りたいですね。承久の変以来800年間想いを送り合ってきた歴史的背景は絶対共感を呼ぶと思います。現代のベネフィットとして、災害時の遠隔地協力という意味でも良いですね。
水無瀬 おっしゃるとおりですね。次回は隠岐の食べ物を水無瀬神宮で食しながらのトークイベントがいいかもしれません。
編集部 その際に「離宮の水」で淹れたコーヒーを出すのもいいかもしれませんね。きっと美味しいですしね。
水無瀬 そうなんですよ。実は僕もそれは前から狙ってました(笑)。カフェや土産などを売るアンテナショップもいつかはやりたいんです。
矢吹 後鳥羽院にちなんだお土産は、きっと売れると思いますよ(笑)
《編集部注》
この対談後、「隠岐と水無瀬 歴史トーク」と題したイベントが昨年2月に開催されました。以来隠岐と地域間交流を図っています。