“答えのない世界”を歩む
関山穂香さん(せきやま ほのか) プロ囲碁棋士
◆囲碁は生活の一部だった
関山穂香さんは、令和7年4月、弱冠17歳(入段時)で囲碁のプロ棋士となった。以前、取り上げた関山利道九段の長女である。囲碁史上初の5代目の誕生である。
医者の家系、公務員家系などという言い方がある。親や親族から強く望まれ、その道へ進むこともあるかもしれないが、多くは「身近な人がそうだったから」自然とそちらへ進んだというケースではないだろうか。穂香さんにとっては“囲碁”がそれだった。父や祖父だけでなく、親戚にもプロ棋士がいて、家のどの部屋にも碁盤があるような環境でそだった彼女にとって、囲碁は生活の一部だった。
小さい頃から、父の職場とも言える関西棋院に行き、囲碁サロンで年齢関係なく囲碁を楽しむ人に混ざっていた。そんななかで育った穂香さんは幼い頃から、人前でも堂々と話せるしっかり者だったという。「人見知りは全然しなかったですね。幼稚園では母から離れられなかった時期もあったけど、気づけば誰とでも仲良くなれるタイプになっていました」。幼稚園で先生からよく褒められたのは、「誰にでも同じように接するところ」だった。これは今の対局姿勢にも、指導する時の態度にも通じている。
◆プロを目指す
プロを本気で目指し始めたのは小学校高学年の頃である。 自身とあまり年の変わらない仲邑菫(なかむらすみれ)さんが史上最年少で入段し、メディアで大きく取り上げられたことが影響を与えた。また、父や祖父、親戚のプロ棋士たちの存在もある。「小さい頃は“なんかすごいらしい”くらいだったんですが、自分が強くなるにつれて、そのすごさがリアルに分かってきたんです。“あ、私もこうなりたい”って憧れが芽生えました」。
プロ棋士への道は過酷だ。養成機関では1年を通じリーグ戦が行われ、そこで一定の成績を残したものしかプロにはなれない。また、年齢制限という時間的なリミットもある。穂香さんは中学2年生で日本棋院の院生となり3年間を過ごした。「3年間のリーグ戦は、とても苦しかったです。 でも、囲碁棋士の家系を私で途切れさせるわけにはいかない、という思いもありました」。
そのプレッシャーは計り知れない。しかし、 重圧にもなるその思いを穂香さんは“力”に変えることができた。ひょうきんで優しくとも師としては厳しい父、いつも味方で精神的にフォローしてくれる母、可愛くて穂香さんにとっての癒しである妹。家族の支えのもとでこの厳しい時期を乗り越えた。
棋士としての採用が決まった瞬間。 穂香さんよりも先に涙したのは、いつも支えてくれた家族だった。「通知が届いた時、私は外出していて。ちょうど通知が届いた直後に私が帰ったんです。父は先生方に挨拶の電話をしていて、母も妹も大泣きしていて……何事かと思いました。あれは忘れられないですね」。
◆囲碁の魅力
穂香さんが思う囲碁の魅力は“自由さ”にある。
「囲碁って、正解がない世界なんです。 社会に出ると、答えのない問題に向き合う場面が多いですよね。囲碁はそれに近くて、答えを探すというより、自分で創っていく感覚です」
囲碁漬けの毎日だが、穂香さんの興味は幅広い。囲碁の勉強の合間にミセス(Mrs. GREEN APPLE)の音楽を聴き、心理学や哲学の本を読み、数学に没頭する。すでにプロ棋士となった穂香さんだが、通信制の高校で学ぶ女子高生でもある。数学は“答えが必ずある世界”で、囲碁と真逆だからこそ息抜きとしてハマっているという。また、阪神タイガースの大ファンで、体力づくりのためにジムにも通う。幼いころから好きな「絵を描くこと」も長続きしている趣味だ。
プロ棋士としての仕事の第一は対局(試合)だが、囲碁の普及活動も大切な仕事の一つである。穂香さんはイベントや講座で人に伝えることにも興味を持つ。先日のイベントでは、講座を担当し、来場者からこんな言葉をもらったという。「“明るく話す姿に元気をもらいました”と言っていただけて、すごく嬉しかったです」。
伝えるためのコツを聞くと、①テーマを一つに絞る、②大事なワードは繰り返す、③はっきり大きな声で、とすでに講師としての意識が高い。
「囲碁については何よりもまず、技術を磨いてもっと強くなること。人としては、祖父(関山利一九段)が棋士としても強くて、人間的にもとても尊敬される方だったそうなので、そんな風に強くて優しい棋士になりたいです。父もそうなんですけど、周りから信頼され、慕われる人に」
プロの世界は厳しく、幾多の試練が待ち受けているだろう。それを乗り越え、強さと優しさを兼ね備えた魅力ある棋士になってほしいと切に願う。

