地域に寄り添う「優しい病院」をめざして
丸茂岳さん(まるも たけし) みなせ病院院長
◆父親の跡を継ぐ
丸茂さんの父親は、みなせ病院の前身である丸茂病院の創設者で、整形外科医だった。この地に病院がなかったことから、地元の有力者の要請に応えて開業した。他の候補者が辞退する中、父親が一人でもやると決断したのが始まりである。丸茂さんは、幼い頃から一番近くで見ていた父親の姿に憧れ、人の役に立つ仕事だと感じていたため、自然と医師の道を志した。特に反抗期もなく、父親は人生の指針だったと語る。
北海道の旭川医科大学に入学し父親と同じ医学の道に進む。学生時代はスキーに熱中し、検定1級を取得するまでになった。現在も冬になると家族とスキー場に足を運ぶ。卒業後、京都大学の脳神経外科でキャリアをスタートさせた。脳神経外科と脊椎外科の専門医として、脳梗塞などの救急治療、認知症の外来診療、脊柱管狭窄症や椎間板ヘルニアの診断治療を行なってきた。14年前(2012年)に現在の病院に戻り、「もの忘れ外来」も担当している。父親が20年前に亡くなった後、理事長職を引き継ぎ、約10年前の38歳のときに院長にも就任する。
就任当時、経営に関する知識が不足していると自覚した丸茂さんは、松下幸之助や稲盛和夫、ドラッカーなどの経営書を読み、ビジョンや理念を掲げることの重要性を学び、「優しい病院を目指す」ことを目標の一つに掲げた。「医療の質は“高い・低い”だけでなく、“優しい”といった側面も重要なんです」。
もちろん当初は自分より年上やキャリアが上の医師たちをまとめることに苦心した。ある日のこと、「人間は感情で動くんです。理屈を言っても動きません」と年上の医師から厳しく指摘された。この経験から、正しさだけでは人は動かないことを学んだという。
丸茂さんは「怖いからといって萎縮した医療はしない」という姿勢を重視している。手に負えない場合でも、まずは自分たちで受け止め、必要に応じて高次の医療機関へつなぐ「ファーストタッチ」の役割を徹底している。
◆みなせ病院がスタート
令和8年5月には、新病院「みなせ病院」がスタートする。建物の老朽化に加え、より高い耐震性能基準を満たす必要性もあった。画一的でありきたりな病院になることを避けるため、独自のブランディングを構築した。治療だけでなく、予防医療や介護予防にも力を入れ、気軽に立ち寄って相談できる、地域にとって身近な存在になることを目指している。そのため人々の人生に寄り添う雰囲気を建物にも反映させたいと考えている。
新しい病院では、これまでなかった小児科の外来を始める。これにより、子供の頃から病院に親しみを持ってもらい、将来的に家族全員が気軽に利用するきっかけになることを期待している。さらに、地域住民の心身の健康を支えるため、精神神経科外来を新設する。地域医療とは、単に医療のことだけを考えるのではなく、地域のことを深く理解することであるという。
病院のスタッフは、夏祭りや商工会のイベントに積極的に参加し、地域に溶け込む努力を長年続けている。イベントでの売上金を大阪水上隣保館に寄付するなど、地域への貢献活動も積極的に行なっており、それがスタッフのやりがいにもつながっている。さらには、この3月から入居開始の有料老人ホーム「みなせテラス」の1階には、地域交流スペースが併設される。そこには、会議スペース、私設図書館、寄贈されたグランドピアノなどを設置し、地域の人が自由に訪れることができる。
「どんな使い方をすれば喜ばれるか手探りなんですが、地域の人に喜んでもらえるものにしたいですね」
丸茂さんは、医療や介護を基軸としながらも、住まいなどを通じて、一人のプレイヤーとして町を楽しくする役割も持てたらいいと考えている。最近では島本町で食べ歩いたり、町の主催事業に顔を出したりしている。それは、病院という枠の中からしか町を見てこなかったので、町のエネルギーを感じたり、どんな人がどんな思いで町を見ているのかを知りたかったからである。
新ロゴの下には、「Shimamoto LIFE Community」と銘打たれている。それは地域住民の人生に寄り添うコミュニティの実現を目指すという未来像が示されている。そこには、医療・介護を軸とした地域コミュニティ創生への強い意欲が看取できる。
「正しい決断をしようとするな。強く決断しろ」がモットーの丸茂さん。決断した後に、その決断が正しくなるように努力することが重要だという。地域に根差した「優しい病院」を目指して、今後も奮闘努力していくことだろう。

