古社を起点に地域を盛りあげる

古社を起点に地域を盛りあげる

〜今月のこの人〜

粟辻 卓さん

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古社を起点に地域を盛りあげる

島本町を代表する古社の一つである若山神社は、創建から千三百年以上の歴史があるといわれている。広い鎮守の森に囲まれ、三川合流を望むその神社は島本町の氏神として、地域の方々から愛されている。その神社を守っているのが、現宮司の粟辻卓さんである。

 粟辻さんは昭和28年に粟辻家の三男として生まれた。中学生の時はバレーボール部で汗を流し、当時は大阪府でベスト16に入る強さだった。その頃、当時宮司を務めていた祖父が亡くなり、高校を卒業後に神職の資格がとれる大学へ進学した。

 「最初から継ごうと思っていました。兄たちが神職以外の道を進んだのもあって、高校を卒業するころには決めていましたね」

 大学卒業後、修行のため京都の八坂神社に勤めることになった。

 「神主が20人くらいいるんです。祇園祭りをはじめとした季節ごとの祭祀も多いので、とにかく忙しかったですね」。

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10年以上のお勤めの中には、ボーイスカウトやガールスカウトの活動への参加といった仕事もあった。「神社として青少年教育に関わっていました。神社という場所は情操教育にいいんです。面と向かって両親に感謝の気持ちを伝えるのは恥ずかしい。でも、神様に向かって手を合わせては言えるんですね。そのような感じで子どもの頃から神社と関わっていると、大人になってからもお祭りなどに協力してくれるようになるでしょう」という。“神社”と“ボーイスカウト”という意外な組み合わせに得心した。

 若山神社の境内には、ボーイスカウトや地域のスポーツ団体が合宿をおこなう施設があった。そこでは餅つき大会や、キャンプファイヤーも行われていた。子どものころに泊まった記憶がある読者もいることだろう。現在は老朽化のため使用されていないが、粟辻さんはぜひとも施設をリニューアルし復活させたいと考えている。ご自身もスポーツ好きであり、「地域の子どもたちのため、地域を盛り上げるためにもできることをやっていきたい」という。

粟辻さん自身も精力的に活動している。小・中学校でのPTA会長や、青少年指導委員、文化推進委員などを歴任してきた。現在でも一小の学校協議会会長、また大阪神社連合会会長といった要職を務めている。

 若山神社の森と歴史、文化を残していきたいと語る粟辻さんは、祭りを通じた地域の活性化を考えている。これまでにも春の桜祭りをはじめ、5月の例大祭で島根県益田市から石見神楽を招いての奉納や、令和元年には昭和9年を最後に85年間途絶えていた神輿渡御巡行を氏子の方たちの協力の元復活させた。神輿を復活するにあたり、八坂神社で勉強させてもらったという。秋には紅葉祭りもある。

 座右の銘は温故知新。カメラと旅行が趣味で、勉強もかねて各地の神社や祭りもよく訪れる。「やっぱり『百聞は一見に如かず』です。実際に見たり人に会うことが大事です。机上の空論ではだめですね」

 社務所を出て境内を案内してもらった。鎮守の森は樹齢200年前後を数えるツブラジイ林で、大阪みどりの百選および大阪府指定天然記念物に選ばれている。マイナスイオンのせいだろうか、清々しい気持ちになる。島本町役場からおよそ北に2キロ足を延ばせば、癒しの空間を味わうことができるのは、町民の特権かもしれない。

 「ここから、桂川、宇治川、木津川の三川合流が見えるんです。肝心の島本町が木々で見えないので、切ろうかなと考えています。そのほうがみなさん喜んでくださるので」

 あまりに見晴らしがいいので、「カップルとかが見にこれるように縁結びの神社として売り出してもいいですね」と、失礼を承知の上で俗っぽい質問をしたところ、「祭神は素戔嗚尊(スサノオ)です。ご利益として開運だけでなく縁結びもあるんですよ。全国的にも素戔嗚尊を祀っている神社は縁結びが多いんです。なのでこの若山神社も縁結びのパワースポットとして宣伝できるんじゃないかなと考えているんです」と、大真面目に答えていただいたのが印象的であった。

 

かけがえのない歴史と文化、自然をもつ若山神社を守り、「故きを温ねて新しきを知る」だけでなく、前に進んでいく粟辻卓さん。次代へつないでいくために、より地域とつながり開かれた場所にしていこうとする姿勢が今回の取材を通じて感じられた。若山神社はまだまだ進化していく可能性を秘めている。

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取材・文・撮影 – SMALL編集部