変化の時は中心に飛び込め

変化の時は中心に飛び込め

〜今月のこの人〜

末吉 正和さん

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変化の時は中心に飛び込め

◆大道芸との出会い

 末吉さんは“シンクロニシティ”というコンビとして活躍する、プロのジャグラー・パフォーマー・アーティストである。その活躍ぶりは、全国区や関西ローカルのテレビ番組にもたびたび取り上げられている。

 大学受験の浪人中、予備校のあった難波で通りがかりに大道芸を観ていた際、そのパフォーマーに声をかけられ舞台にあげられたことがあった。興味がわくと同時に、これを生業としている人がいることに驚いたという。平成11年、一浪ののちに入学した京都大学では、当時できたばかりのジャグリングサークルがあった。運命を感じ、そのサークルに入部した。

 翌12年、今の相方とコンビを結成し、京都で開催された第2回ジャパンジャグリングフェスティバルのイベント運営も担当するなどこれまでの人生にない刺激的な日々を経験し、翌春には大学サークルとして日本初の単独ジャグリングライブを開催することになった。

 「大道芸はちょっとしたミスなら笑いに変えることもできる。ただ、純粋なジャグリングショーはミスが許されない。高いレベルのパフォーマンスを見せることが求められます」

後で投げ銭をいただく大道芸は、観客が満足しなければ受け取る金額も少ない。先に入場料をいただくショーでは、対価に見合うだけの満足を提供することが大前提となる。ライブの結果は、想像を超えたレベルの高さに多くの観客が驚き、大盛況だった。相方とは今でも「あのときの客席の熱狂が自分たちを根本から変えた」と語り合う。その後、ジャグリングの日本大会でも優勝を飾り、いよいよ本格的にパフォーマーへの道を踏み出すことになる。

◆父の応援に涙

 一般的に大学院へ進学するか就職するかを選択する時期に、実家に帰り「卒業したらプロのパフォーマーとして生きていく」と親に伝えた。父親からは「お金の面はどうしていくのか」などたくさんの質問を投げかけられた。話し合いを終えた時、父親は涙していたという。

 末吉さんはこの件について周囲には「いやぁ、親父には反対されて…」と話していた。しかし36歳の冬のある日、「これまでの人生」をテーマにPTAから保護者向けの講演依頼を受け、いつものように「親父には反対され…」と語ろうとした際、「まてよ、色々質問されたが、反対はされてない。『やめておけ』といった言葉もなかった…。そうか、応援してくれていたのか」と気づいた。講演の最中にもかかわらず号泣した。のちに母親から聞いた話では「正和が考え抜いて出した結論に、反対する理由など何もない」と言っていたそうだ。あの涙は、経済的事情で大学進学をあきらめ仕事のため一人九州の田舎から外の世界に飛び出した父親にとって、息子の決断に何か思いを重ねたゆえのものだったのかもしれない。

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◆変化を前向きにとらえる

 平成15年春に大学を卒業し、コンビニでバイトしながらプロのパフォーマーとしての活動を開始する。平成18年に大阪の街中でパフォーマンスを実施できる「大阪パフォーマーライセンス制度」がスタートするが、その制度の構築にも自ら手を挙げて加わる。この時に大手企業や自治体の考え方などに直接触れることができた経験はとても生きているという。

 これまでの経験から、「変化のときは中心に飛び込め」と、末吉さんは肝に銘じている。コロナ禍では、外出やイベント等の自粛が求められ、多くのアーティストに打撃を与えた。仕事もすべてキャンセルとなり、通常支払われるキャンセル料もこの時はなかった。子どもたちも休校となったため、自宅の庭でキャンプを行い、自ら勉強を教えるなど、厳しい状況下でも「今できること」に全力を注いだ。シンクロニシティとしても、食いつなげるだけの備えをしていたため、できることをしようとピンチを次なる一歩につなげるよう動いた。

平成26年頃から数十個のルービックキューブを使ったアート作品づくりを行っていたが、手元に残っていた自己資金とコロナ禍で実施された文化庁の補助金やクラウドファンディングを活用して、一万個を超えるルービックキューブを使った個展を開くことを考えた。

 この時大事にしたコンセプトは「人と違うことをしよう!」である。巨大キューブアート自体には先駆者がいる。人と異なるアイデアに、実現するための数々の工夫を重ね、自分たちならではの面白い作品、実際に来て観て初めて解かる体「観」型のアートを作り上げていく。こうして令和2年11月に“シンクロニシティのキューブアート展”を大成功させた。

 開催の手ごたえから、これはきちんと対価を得られるイベントであると確信した末吉さんは、「自分たちの力だけでなく、さまざまな支援があって開催できたことなので、今後も新しいことを生み出して還元していかないと」との思いで続けているという。このキューブアートはその後、テレビ番組・雑誌などのメディアでも多数取り上げられ、知名度を上げた。

 「コロナ禍を経て、シンクロニシティとしてはさらに強くなりました」

 変化の時を前向きにとらえ、面白がりながら挑戦する。先行きが不透明で予測できない時代に、末吉さんはこれからも変化を楽しみながら新しいことに挑みつづけていく。

取材・文・撮影 – SMALL編集部