癒しのひと時をお客様へ

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〜今月のこの人〜

松田 政市さん

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父からの継承

「まだまだ続けていきたいですね~」

寡黙な松田さんもこの時ばかりはにこりと笑った。

島本町の東大寺地区に1軒の銭湯がある。昨年創業90年を迎えた「昭和湯」である。昔ながらの銭湯の雰囲気を醸し出す昭和湯を切り盛りするのは、冒頭の言葉の人、三代目松田政市さんである。

祖父の音松さんは元々製材所を営んでいた。廃材の利用にと思いついたのが銭湯だった。政市さんは二代目の父新市さんの長男であったため、子どものころから銭湯を継ぐものと思っていた。昭和48年22歳の時に店を継いだ。

「大人になってからも、別の道に進みたいとは思いませんでしたね。実際に継いだ時も気持ちの変化とかは特にありませんでした」

筆者は地元の人間なので、当然ながら昭和湯にお世話になってきた。取材ということで、銭湯の知識を入れて訪れてみるといろいろなことに気づく。

大阪型と京都型

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昭和湯に着いてまず目につくのは3つに分かれているのれんである。ふだん意識することのないこののれん、実は地域によって違いがある。大阪型は3つ、京都型は2つ、東京型は5つにそれぞれ分かれているのである。次に番台を境に左手に男湯、右手が女湯となっている。「関東では右が男湯で左が女湯で、関西はその逆……」とよく言われるが、これは都市伝説であり店ごとに異なる。

脱衣所は京都方式でもあり大阪方式でもあるといわれている。京都では、脱いだ服を籠に入れるだけであり、大阪方式はロッカーに入れて鍵をする。昭和湯は脱衣籠もあり、ロッカーもある。脱いだ服を直接、ロッカーに入れてもいいし、籠に入れてロッカーに入れてもいいし、籠に入れて一番下の籠入れに置いておいてもいい。島本という「京となにわが出会う場所」がなせる業かもしれない。「水無瀬川を境に京都と大阪が分かれている感じがする」と、古くから住んでいる人から聞いた印象的な言葉を思い出した。

その脱衣所には、マッサージチェアやテレビ、扇風機など、古き良き時代の銭湯そのままの光景である。もちろん、湯上り後の幸せなひと時を演出する飲み物も売っている。

「フルーツジュースやミルクコーヒーなどの飲み物は、仕入れの注文のタイミングが難しいですよ~」と笑いながら話すのは番台を任されている奥さんである。確かにいつなんどき大勢の団体客が来るか予想がつかない。そのあたりは仕入れを仕切る奥さんの長年の勘が物をいうのだろう。常連さんにも話を聞いたが、飲み物がなくて困ったことがないという。

昔ながらの雰囲気

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湯船のほうに向かうと、男性と女性の仕切りをまたいで壁に大きな富士山の絵が描かれている。すべての壁はタイル張りであり、大きな湯船のほかに、電気風呂やスチームサウナがもちろん、ある。懐かしくてほっとする。

 風呂の湯は地下水を利用しているんです」

創業が90年前ということもあり、ある程度予想はしていた。やはり地下水である。大阪府下でも有数の名水に浸かれるとは、なんともぜいたくな話である。このことは強調してもしすぎることはない。

燃料は廃材パレットを薪として利用している。パレットとは、物流に用いる、荷物を載せるための台のことである。それを譲り受け薪にする。取材後、トラックに積山と積まれたパレットをご夫婦でばらしていた。

午前中は掃除や薪の準備であり、午後4時から営業が始まる。松田さんはボイラー室の中が仕事部屋となる。午後11時閉店なのだから、適宜薪をくべながら、長時間その部屋で過ごすことになる。

「けっこう忙しいので、孤独を感じたことはないですね。駐車場の誘導で外に出たり、お客さんとも会話しますからね。中にはテレビもありますし」

客層のなかには、町外の若者も多いという。大昔は数軒あった銭湯も経営難にあえぎ姿を消しつつある昨今では、物珍しくなってきたのかもしれない。いや懐かしくてほっとする場所を求めているというべきか。常連の中には、最後のシャッターを松田さんとともに閉める猛者もいる。その方は「昭和湯は究極の癒しですね」と語る。

「常連さん同士が仲良くなって、お風呂の後、飲みに行ったらしいですよ」と松田さんがまたうれしそうに話した。業界では、「銭湯は常連さんで持ちこたえられている」と言われている。それを実感しているかのようであった。

ノスタルジーを感じさせる昭和湯の守り人松田さんは、癒しのひと時を求めてくるお客さんのために今日も薪をくべるのである。

取材・文・撮影 – SMALL編集部