食と猟をとおして生きることの大切さを伝える

食と猟をとおして生きることの大切さを伝える

〜今月のこの人〜

宮井一郎さん

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ジビエ料理と出会う

シェフ兼猟師の宮井さんは、自由な気風の両親の元で育った。そのため不必要なルールばかりに縛られる学校が大嫌いだった。高校では、ほとんど出席せずに友人たちと過ごした。

ただ変化もあった。ゴッホなどの油絵などにも興味を持ち、画家を目指すことにしたのである。両親の許可を得て、フランスに約2カ月滞在した。その際「食」にも興味を持ち、「フランス料理の母はイタリア料理」ということを知る。そのままイタリアに渡り、ジビエ料理と出会った。

高校卒業後もイタリアへ行き、数々の料理店で修業した。何十万もの値がつく子鹿や子猪などのジビエ料理にも触れることができた。日本では牛肉が一番値がつくが、イタリアでは子鹿がトップで、その次に子牛、子豚、子羊の順となるそうだ。

日本では、仏教などの影響から「殺生=悪」という文化が根強くあり、江戸時代後期になってようやく肉食が広がるようになる。現在でも日本でジビエというと「猪鍋」や「鹿刺し」などが代表的で、まだまだジビエ料理は広まっていない。イタリアから帰国後、奈良県で調理専門短期大学の先生をし、リゾートホテルで料理顧問を勤めた後、上牧に店を出した。15年間経営した後、島本町でジビエ料理の専門店「RISTORANTE Co.N.Te(リストランテ コンテ)」を出すことになった。

『生きる』を学ぶための学校

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店を経営しながらも宮井さんは、令和5年(2023)年4月から「『生きる』を学ぶための学校」を開校するという。もっと「生きる楽しさ」や「狩猟の楽しさ」を伝える教育を提供していきたいという思いがあるからだ。先生には、元中学校の教師、工務店の社長、美容師など各分野でプロフェッショナルが揃っている。

「今の学校教育では、形のないものに価値を見出すことや、リーダーシップに欠けることが多く、そのような問題に取り組むための教育を行いたい。学校を作るが、学習カリキュラムはあえて作っていません」

自分自身で狩りを行い、狩りで獲ったら自分でさばく。さばいた肉を料理し、味わうことで、「殺すことでしか生きることはできない、生きることの喜びと学び」を得る。そこからさらに自主的に調べ、その道の専門家に質問することもできる。また、イベントに出店する場合に必要な、出店料や食材費、設定金額、儲けまで計算できる能力を身につけさせる。「必ず社会の貢献に役に立つ学校になると信じています」。

もう一つ新しい取り組みとして「ジビエ缶詰」の開発に力を入れている。研究を重ね「塩」だけを添加物にするとジビエ本来の味が保たれることが分かった。最初は缶詰製造会社の社長から「そんな缶詰見たことない」と猛反発を受けたが、後日社長から電話がかかり「めちゃくちゃうまい!こんなにおいしい缶詰はなかなかない」と高評価をもらった。パッケージデザインは大阪成蹊大学に依頼している。

「おいしさが保たれ、缶詰なので日持ちもするため、非常食にも役に立つというメリットがたくさんあります。ふるさと納税を通じて島本町に貢献したいですね」

島本町の大沢地区の古い物件を改装し「アジト」を作っている。床をきれいに張り替え、五右衛門風呂も作った。友人や子どもたちを呼んで、楽しみながら学ぶ場になればと、外壁を塗るイベントを開いたこともある。

誰もが歩くコースを歩かない

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「私はずっと『子どもの代表』として子どものような遊び心の感覚を常に持ち続けています。大人が子どもみたいに楽しんでいる姿を、子どもたちに見せることで、それを見た子どもは未来に希望やワクワク感を持つことができると思っているんです」

人生のなかではいいことも悪いこともある。過去は過去、振り返っても意味はない。「未来だけを見て、毎日を『初めての体験』として楽しく過ごす。『やってみたい』と思ったことがあったら、いますぐ始めること」が宮井さんのモットーである。

趣味もやはり狩猟で、休みの日でもよく狩りに出かける。日本の場合、趣味は狩猟という人は珍しいだろう。そもそも新しくチャレンジすることが苦手であり、挑戦をすることに億劫のような感じがする。

誰もが歩くようなコースを歩かない。『あそこに行ってみたい』というものを見つけたら、そこに道がなくても自分で切り開いていく。険しい道を切り開いた自分の後ろには、新しい歩ける道ができている。常に新しい道を開拓していくような、そんな生き方をしています」

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「殺すことは、生きること」「道がないなら自分で切り開く」。印象的で力強い言葉に、背中を押された気がした。

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取材・文・撮影 - SMALL編集部