〜今月のこの人〜
長谷川 勝さん
長谷川 稔さん
タフで何でも楽しんでこなす叔父
“ハセショ”の通称で知られている阪急水無瀬駅前の一角に佇む本屋 「長谷川書店」。開業以来56年続く老舗を切り盛りしているのは、叔父の長谷川勝さんと甥の長谷川稔さんである。稔さんの祖父の孝三さんは高槻市最古の本屋「長束興文堂」で丁稚奉公をしたのち、昭和34年(1959年)独立して「長谷川書店」を創業。その支店として昭和42年(1967年)、島本センター内にも「長谷川書店島本店」が産声を上げた。
稔さんが語る勝さんは365日ほとんど休まない働き者で、どんなことも自力で学び解決する努力家だという。ある日のこと、勝さんがパソコンの画面と辞書とにらめっこしていた。よく見てみると、フィンランド人の知人とメールのやりとりをしている。語学に堪能というわけではなく、分からないながらも辞書を片手に一人で黙々とやりとりしていたのである。感心するエピソードは尽きない。稔さんはそんなタフで何でも楽しんでこなす叔父を見て学んだ。
さて時代を戻そう。長谷川書店は島本センターから、かつてスーパー大国屋が倉庫にしていたJR高架下へ移転する。その後、隣接していた店舗に空きができたタイミングでゲームソフトの販売店をフランチャイズ展開していた業者から長谷川書店グループに声がかかった。このことが稔さんが島本町に来るきっかけとなった。平成12年(2000年)のことである。
甥にお店を任せる
稔さんは、最初は長谷川書店に隣接したその別店舗でゲームソフトを販売していたが、のちに店舗間の壁を取り壊すかたちで、本屋に編入することになる。
稔さんが加わるにあたって「お店の方針や形態などを2人で考えると上手く回らない」と考えた勝さんは、稔さんに店を任せることにした。書店経験のなかった稔さんは、本を取り扱いはじめてまず、お客さん一人ひとりがどういう思いでその本を選んだのか、その本のどこに惹かれたのかということに興味を持つようになったという。
未経験から試行錯誤を繰り返す日々、お客さんとのやりとりから学ぶようにして本屋を営んでいった。
取材中、稔さんは、「自分に特別なセンスはない」と何度か口にする。しかし、お客さんとレジで世間話をしてコミュニケーションを取れることも能力ではないか。その結果、長谷川書店には様々なジャンルの本が揃い、お客さんとイベントを開催するなどして独自の魅力が育っているようだ。
雑誌『ビッグイシュー』の販売もその一つだ。ホームレス状況にある人や生活困窮者に対して雑誌販売という仕事を創る社会的企業ビッグイシューが出版している雑誌である。『ビッグイシュー』は路上で販売され、定価の半分以上が販売者の収入となる。寄付・チャリティと異なり、仕事を提供し自立を支援する事業である。
「販売者さんと働くのは楽しいです。ビッグイシューを求めてもらったり、販売者さんを通じて様々な人、立場や状況に出会うきっかけになればと思っています」と稔さんはいう。
出会いが生まれる本屋を目指して
運営について。稔さんは、あまり先のことにとらわれていないようだ。もくもくと目の前の人と向き合い、この町と関わりながら店を続けている。
この話を勝さんにすると、「自分でいろいろと学んだりしていく中で、いろんな人と積極的に関わったことによって、取引先や友達が増えたし、その結果お店にさまざまな人が来るきっかけができた。そんな光景を見る度にお店の営業を稔君に任せてよかったと思う」とうれしそうに語った。
稔さんに店のコンセプトを尋ねると、「コンセプトはなく、ほんのちょっとよかったなと思える時間や空間、本や人との出会いがあれば」と話した。今では当たり前になっているネットでの本の購入については、「本屋のない町の人にとっては、必要なもの。それぞれの役割がある」と、稔さんはライバル視していないようだ。
最後に、ネット販売にはない本屋の良さを聞くと、「実際にその手で本に触れられること、本や場所を通じてゆっくり関係をもてること。子どもたちと触れ合えるところなど」と、お二人は口々に言った。
ネットでは、自分が興味のあるジャンルや本のタイトルをピンポイントで検索して探す一方、本屋では、ふと目に留まった自分の知らないジャンルの本との出会いが生まれることもあり、自分の世界観が広がるチャンスがある。店員さんとの何気ない会話がきっかけとなり、新たな出会いが生まれることもある。同じお金を払って本を買うことでも、本屋では無意識のうちに “出会い”というプラスアルファも買っているのかもしれない。人との出会いを大切にし続けてきた長谷川書店では、今日もまた新たな出会いが生まれていることだろう。
【営業情報】
住所:〒618-0013 大阪府三島郡島本町水無瀬1丁目13−708−8
電話: 075-961-6118